2005年01月07日

自由について

自由ってなんでしょうか?

思えば、この疑問を持って以来、葛藤と迷いが生まれたと思う。
小学生の頃は楽だった。
塾行って、いい成績を取れば褒められ、それを目標にしていればよかった。
でも、それは”自由”では無い。そう誰もが思っていたと思う。
中学、高校、大学。
自由に選べと言われ、そう進んできた。
でも、本当に自由だったんだろうか?
そして今、自由なんだろうか?
ただひかれたレールの上から脱線する勇気が無く、その上を歩いてきたにすぎないんじゃないのか?
自分に問う。

この国は自由をモットーとするのが好きなんだろう。
新教育はそういうのをスローガンとして掲げていたはずだ。
それなのに、分かっていたはずなのに、今更学力低下を唱えている。
何を持って自由で、何を持ってよしとするのかが見えてこない。

環境によって備わる価値判断があると思う。
個人的にはその判断を育てるのが教育だと思ってるんだけど、
結局、その判断基準に従って、僕らは生きる。
その判断基準を育てる環境は僕らに選ぶことは出来ない。
その時点でもう、僕らは自由じゃない。
でも、そんなことはどうしようもないし、今更議論するまでもない。

じゃあ、何を持って”自由”とする?
そもそも自由に生きる必要はあるんだろうか??
自由であるんだ!そんな強迫観念に襲われているだけなんだろうか?
自立すれば自由なんだろうか?

人それぞれ意見があると思います。
出来れば、皆さんの”自由”を聞かせていただけるとありがたいです。

じゆう ―いう 2 【自由】
(名・形動)[文]ナリ


(1)〔freedom; liberty〕他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。自らを統御する自律性、内なる必然から行為する自発性などがその内容で、これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。


(ア)哲学的な意味では、自らを自律的に統御し、内なる必然から自発的に行為すること。外的自然からの自由、内的自然(理性や意志以外の要因)からの自由、他人による強制からの自由に分かれる。意志の自由とほぼ同義。


(イ)社会学的な意味では、社会集団が個人の自律的な判断・決定能力を発展させる構造的条件を備えていること。基本的人権のほか価値・規範体系の整備なども含む。
「―な社会の実現」


(ウ)政治的・歴史的には、時代によって異なる内容をもつ。古代ギリシャでは奴隷などと区別されたポリス市民固有の属性、すなわちすぐれたものへの洞察力を意味したが、中世ヨーロッパでは身分的特権の別名であった。近代のリベラルな自由概念は一七世紀の宗教戦争以来成立し、市民革命を経て強化・確立され、宗教的自由から思想・信条の自由が、さらにそこから言論・出版の自由が要請された。この過程で、権力と対立しこれを制約する自由という視点も出てくる。マルクス主義的には、社会全体が解放され、人格の自律が真に達成されることが重要視される。


(2)物事が自分の思うままになるさま。
「三か国語を―にあやつる」「―がきく」「―になる時間」「船の進退―ならねば/近世紀聞(延房)」


(3)わがまま。気まま。
「よろづ―にして、大方、人に従ふといふ事なし/徒然 60」


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Title: 自由ってなんだ?
Excerpt: TrackBack:日記帳(続編)::自由について なんかNHKのしゃべり場みたいな話題ですが、暇なので飛びついてみる。 まず、「自由」という言葉からしてあいまいなんよな。こういう事
From: 視野狭窄2005
Date: 2005.01.09
Title: texas holdem
Excerpt:
From: texas holdem
Date: 2005.09.19
Title: personal loans
Excerpt: personal loans Then he noosed the subiectus around the skellings sickle-moon, and as he was about to misemploy it up,
From: personal loans
Date: 2005.09.30

Posted by hotstaff at 2005年01月07日 19:08 | TrackBack
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