自分にとっての友人とは
試験が続いて完全に夜型になっているせいか、
最近起きる時間が完全に深夜になっている。
そして、こんな深夜に起き続けていると、
物凄く感傷的になってしまう。
高校時代、定期考査はいつも徹夜で受けていた
せいでもあるかもしれない。
とにかく、
いろいろな想いが湧き上がってきてしまう。
俺は高校の同級生の家庭教師をやっていた。
彼らの中には今はもう立派な大学生になった奴もいれば、
まだ、浪人を続けている奴もいる。
毎週火曜日、6時に帰宅してから7時までテレビを
ぼーっと見て、それから自転車に飛び乗って彼の家
に行って4時間ばかし授業をする。
まだ大学の一般教養の授業が沢山あったし、それは
結構時間的に、肉体的に辛いことだったけれど、
とても充実していた。
春休みになってからは毎日朝9時には彼の家に着くように
出て、午前中に授業をするという日が受験日まで続いた。
そして今、ふと思う。
そうやって友人の受験を指導しながら、不謹慎にも
俺はまだ受験の場にいたいという欲求を満たしていた
だけなんじゃないだろうかと。
確かに、当時も今もだけど俺は彼らが第一志
望にいけたらそれでいいと思って家庭教師になった。
でも、それはただ単に自分のエゴだったんじゃないかなと。
ハイハイタウンの養老の滝で牛丼を食べたり、自習室で二人
で勉強したり、高校で色んな友達とだべり合ったり、
今から考えるとありえないくらい充実していた
あの頃に戻りたいという欲求を満たしたかっただけなのかも
しれない。
今年、春から初夏の3ヶ月間、放心状態の廃人になっていた
のも、全てが無くなってしまったと勝手に思い込んでいた
からかもしれない。
そんなことが堂々巡りで頭の中を駆けめぐり、試験勉強を
する手を止める。
結論は出ないだろう。出す気もないけど。
でも、一つ思ったのが、無くなってしまったってのは違うんじゃ
ないかということだった。
落ち込んでいたら、会いにも着てくれるし、エールもくれる。
友人たちと会えなくなっても、それで、輝く時間を分け合った
ことが無くなるわけでもなく、いつまでも自分の心の中で
あり続けるのだ。
少しの間でも自失していたとはいえ、彼らとの友情に
疑いを持ってしまった自分が情けない。
日々、学びながら、彼らのことを忘れるとかじゃなく、
今でもかけがえのない友人なんだと胸を張って言える
そんな自分でいたいと思い、また、彼らがくれたエールを
無駄にしないように、日々の生活を大切にしようと
考え、また試験科目の勉強に戻っていく、そんな日々が
最近つづいている。
これからどうなるかわからない。
でも、一つ確実なのは、会う機会はどんどんと無くなって
いくということだ。
それは当たり前だけど。
でも、それでも俺は、絶対に、彼らを忘れたくない。
それが辛いことでも。
今俺がここにあるのは彼らのおかげなのだから。
そんなことを思いながら、試験勉強を黙々と日々しています。
残る試験は3つ。
23日と29日。
とにかく、頑張ろう。